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大阪地方裁判所 平成11年(ワ)4305号 判決

原告 A

右訴訟代理人弁護士 堀和幸

被告 国

右代表者法務大臣 臼井日出男

右指定代理人 北佳子

同 山田敏雄

同 神尾光一

同 小嶌一平

同 成田良造

同 池田信吾

同 茨木正輝

同 青山芳浩

主文

一  被告は、原告に対し、五〇万円及びこれに対する平成八年四月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、一五〇〇万円及びこれに対する平成八年四月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、未決勾留中である原告が、<1>拘置所の職員から暴行を受けて重傷を負った、<2>理由なく懲罰として拷問具(戒具)を長時間装着されて保護房へ長期間収容された、<3>虚偽の事実を関係者に告げて刑事公判期日の出頭及び弁護人との接見をいずれも妨害された、<4>右懲罰に加えて懲罰としての軽塀禁を二重に執行された<5>当日の朝食及び昼食をいずれも与えられなかったとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、一五〇〇万円の損害賠償及びこれに対する違法な公権力の行使日である平成八年四月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者等

(一) 原告は、傷害致死等被告事件で大阪地方裁判所へ起訴され、平成八年四月三〇日当時、大阪拘置所に未決勾留中であった者である(なお、右被告事件は、現在最高裁判所に係属中である。)。

(二) 三谷正義(以下、「三谷」という。)、寺園和興(以下、「寺園」という。)及び長野孝次(以下、「長野」という。)は、右当時、いずれも大阪拘置所に勤務していた者であり、三谷は主任矯正処遇官(処遇担当)、寺園は処遇係矯正処遇官であり、長野は統括矯正処遇官(第五担当)であった。

2  法令の規定

(一) 戒具の使用について

監獄法(以下、「法」という。)一九条は、在監者が逃走、暴行若しくは自殺のおそれがあるとき又は監外にあるときには戒具を使用することができると規定している。戒具の種類については法は命令をもってこれを定めることとし、同法施行規則四八条には、鎮静衣、防声具、手錠、捕縄の四種類が規定されており、うち手錠については「戒具製式改定ノ件」(昭和四年五月一四日司法大臣訓令行甲第七四〇号。乙一)により、金属手錠と革手錠とにその製式が分けられている。

同法施行規則五〇条一項には、手錠使用の要件として、暴行、逃走若しくは自殺のおそれがある在監者又は護送中の在監者で、必要と認めるものに限るとの規定がなされており、その注意事項として、「手錠及び捕じょうの使用について」(昭和三二年一月二六日矯正甲第六五号矯正局長通牒。乙二)が定められており、右通牒には、本件に関連する次のような定めがある。

(1)  著しく苦痛を伴うような不自然な姿態を強いる等の方法で使用しないこと。

(2)  必要以上に緊度を強くし、使用部位を傷つけ、又は著しく血液の循環を妨げる等のことがないようにすること。

(3)  使用中は徒らに放置することなく、視察をひんぱんに行うとともに進んで面接指導をなし、精神の安定をはかるようつとめること。

(4)  手錠を使用した場合の手の位置は、腰部においてそれぞれ、両手前、両手後、片手前片手後及び両手各横とし、手くび、前腕部又は上腕部を交錯させないこと。

(5)  被使用者の食事及び用便等にあたっては、施錠を一時はずして用を弁ぜしめること。

(6)  右(5) により難い場合は、できるだけ次のような配慮をすること。

イ 革手錠のバンドをゆるくする。

ロ 片手の手錠をはずす。

ハ 両手を前にする。

(二) 保護房収容について

法一五条は、在監者のうち、心身の状況により不適当と認める者を除き、独居拘禁に付すことができると規定し、「保護房の使用について」(昭和四二年一二月二一日付矯正甲第一二〇三号矯正局長通達。乙三)によれば、保護房(収容者の鎮静及び保護にあてるため設けられた相応の設備及び構造を有する独居房をいう。以下同じ。)の使用について、次の各規定がなされている。

(1)  保護房には、次の各号の一に該当するものであって、普通房に拘禁することが不適当と認められる場合に限り拘禁するものとする。

イ 逃走のおそれがある者

ロ 職員又は他の収容者に暴行又は傷害を与えるおそれがある者

ハ 自殺又は自傷のおそれがある者

ニ 制止に従わず、大声又は騒音を発する者

ホ 房内汚染、器物損壊等異常な行動を反復するおそれがある者

(2)  収容者を保護房に拘禁するには、所長の許可を得なければならない。ただし、急速を要し、あらかじめ所長の許可を得ることができないときは、拘禁後直ちにその旨を所長に報告しなければならない。

(3)  精神又は身体に異常のある者については、医師が診察し、健康に害がないと認められるときでなければ、その者を保護房に拘禁してはならない。ただし、急速を要し、あらかじめ医師が診察することができないときは、拘禁後直ちに医師が診察しなければならない。

(4)  医師は、随時保護房拘禁者(以下、「拘禁者」という。)を視察し、必要に応じ診察しなければならない。

(5)  担当職員は、拘禁者の動静を綿密、かつ、ひんぱんに視察し、その状況を適当な帳簿に記録するとともに、上司に報告しなければならない。

(6)  保護房に拘禁すべき事由が消滅したときは、直ちに拘禁を解除しなければならない。保護房には、七日を越えて拘禁してはならない。ただし、右の期間を越えて拘禁を継続する必要があるときは、三日ごとにその期間を更新することができる。

(7)  拘禁者に対して、特に必要が生じたときは、戒具を使用することができる。ただし、鎮静衣及び防声具は使用することができない。

3  前提となる事実関係

(一) 平成八年(以下、特に断りのない限り、「平成八年」をいうものとし、記載を省略する。)四月三〇日午前八時ころ、三谷と寺園が朝食を配食するため原告の居房へ赴き、同日午前八時五分ころ、原告に対し戒具(革手錠)を右手前左手後に使用した上、保護房へ収容した(戒具使用の時期については、争いがある。)。

(二) 同日は、午後一時二〇分から、大阪地方裁判所において原告にかかる刑事事件の公判期日が予定されていたが、大阪拘置所長は、同日出廷担当者をして同裁判所第一三刑事部合議係書記官室へ赴かせ、係書記官に対し、原告が極度に興奮しており、公判に出頭させることは困難と思料する旨説明し、結局同日の公判は原告不出頭のまま、次回期日を指定したのみで終了した。

(三) 同日、当時の原告の弁護人の一人であった泉秀昭弁護士(以下、「泉弁護士」という。)が大阪拘置所へ接見に赴いたが、大阪拘置所長は、担当職員をして右同様の説明をさせ、結局原告と泉弁護士との接見は実現しなかった。

(四) 五月二日午後三時四五分、原告に対する戒具使用は解除されたが、保護房収容は継続された。

(五) 同月八日午前一一時二〇分、原告に対する保護房拘禁は解除された。

(六) 同月二〇日、原告に対し、職員に対する侮辱及び暴行を理由として、軽塀禁三〇日、文書図画閲読禁止併科の懲罰が執行された(なお、同月二一日及び六月一四日は、原告にかかる刑事公判出廷のため、右懲罰の執行はそれぞれ一日間停止した。)。

二  争点

1  原告に対する暴行の有無

(原告の主張)

(一) 三谷及び寺園は、四月三〇日、朝食の配膳途中でいきなり房内に土足で侵入し、原告を房外に連れだしてコンクリートの床の上に引きずり倒した上、原告が「又、暴力を振るうのか。自分らの思うようにならないと暴力を振るうんやな。」と言うや、三谷において「口の達者な奴や。」と言って、房の前の廊下で原告の額をコンクリートの床に二回ぶつける暴行を加えた。

(二) 三谷及び寺園は、原告を保護房まで連行し、保護房内で、戒具である革手錠を原告の腰の周りにきつく巻き付けて右手前左手後に固定し、三谷において、原告の首をつかんで額を保護房の床に三回ぶつける暴行を加えた。

(被告の主張)

(一) 原告の主張(一)のうち、三谷及び寺園が朝食を配膳するため原告の居房へ赴いたことは認め、その余は否認する。原告が三谷に対し、同人を侮辱する言辞を吐いたため、寺園が原告を注意するために居房へ入ろうとしたところ、原告が寺園に対しては右手拳で左胸を突く暴行をし、これを制止しようとした三谷に対しては右手で左肩につかみかかる暴行をしたため、両名ほか二名が原告の右暴行をやめさせるために同人を廊下に伏臥させて制圧したものであって、原告主張の暴行を加えたことはない。

(二) 同(二)のうち、原告に対し戒具を右手前左手後に使用したこと及び保護房へ収容したことは認め、その余は否認する。

2  戒具使用の違法性

(原告の主張)

(一) 戒具の使用は、暴行、逃走若しくは自殺の具体的なおそれがある在監者について、手錠を使用することが必要であると認められる場合に限り、かつ、戒護の目的達成のための最小限度の範囲、方法において使用されなければならないところ、三谷及び寺園は、戒具使用の要件がないにもかかわらず、保護房内において違法に原告に対し戒具を使用した。

(二) 三谷及び寺園は、違法に戒具を原告の腰の周りに必要以上に緊度を強く巻き付けた上、右手前左手後に固定した。

(三) 被告は、原告を保護房に収容した以降は革手錠を使用する必要がないのに、違法に五月二日午後三時三〇分ころまで戒具使用を継続した。

(被告の主張)

(一) 原告の主張(一)は争う。本件においては、原告は制圧されてもなお両手両足を激しくばたつかせていたのであり、制圧によってもなお暴行のおそれが具体的かつ顕著に発生していたことから、右暴行を制止するため革手錠を用いたのであり、適法である。

(二) 同(二)のうち、右手前左手後に固定したことは認め、その余は否認ないし争う。ベルトの緊度はベルトと原告の背中との間に手指四本が入る状態であった。革手錠を右手前左手後の状態で使用しても、著しく無理な体勢を取ることなく独力で食事、用便の自力処理並びにうつぶせ及び横向きで就寝が可能である。また、本件では一瞬のすきに職員に対して暴行に及ぶおそれがあったため革手錠をゆるめなかったのであり、食事の際には革手錠の穴を一つゆるめ、腹部ベルトの先端から二番目の穴に腕輪の金具を通すなど、できるだけ配慮した。

(三) 同(三)は争う。原告は戒具使用後も興奮状態が継続しており、保護房に収容されているとはいえ、食事や布団の出し入れ等のため入房した職員に対する暴行のおそれが顕著に認められたため、戒具使用を継続し、五月二日午後三時四五分ころに至り、暴行を惹起するおそれも薄らいだと認められたため、戒具使用を解除したものである。

3  保護房拘禁の違法性

(原告の主張)

(一) 本件においては、前記矯正局通達が指摘する要件はなかったのに、三谷及び寺園は、原告を違法に懲罰のため保護房へ収容した。

(二) 被告は、原告に対する保護房拘禁を、四月三〇日午前八時〇五分から五月八日の午後一一時二五分ころまでの長期間、違法に継続した。

(被告の主張)

(一) 原告の主張(一)は争う。原告は、戒具使用後も制止に従わず怒鳴り声を上げ大声を発し続けたため、普通房に収容することを不適当と認めて保護房に収容されたのであり、懲罰のために収容したものではない。

(二) 同(二)は争う。戒具使用解除後も、原告は視察する職員に対し怒鳴ったり、房内を徘徊しながら唾を吐き散らす等したことから、保護房収容を継続し、同日午前一一時二〇分ころに至り、大声を発することもなくなったと認められたため、保護房収容を解除したものである。

4  違法な公判の出頭及び弁護人との接見妨害の有無

(原告の主張)

大阪拘置所長は、担当職員を通じて、大阪地方裁判所の係書記官及び接見に訪れた泉秀昭弁護士に、いずれも虚偽の理由を告げ、本件当日に予定されていた公判に出頭させずに原告の裁判活動を妨害し、泉弁護士との接見を拒否した。

(被告の主張)

原告が本件当日に予定されていた刑事公判に出廷しなかったこと、泉弁護士が大阪拘置所へ来所したことは認め、その余は否認する。

5  違法な二重懲罰の有無

(原告の主張)

被告は、原告に対し懲罰として戒具を使用した上保護房に収容したにもかかわらず、これとは別に、争いのない事実等3(六)のとおり、懲罰を二重に執行した。

(被告の主張)

争う。原告の保護房拘禁はその要件を満たしていたものであり、懲罰のため収容したものではないから、二重処罰にはあたらない。

6  減食の有無

(原告の主張)

被告は、監獄法六一条に違反して、原告に対し、四月三〇日の朝食及び昼食を全く与えなかった。

(被告の主張)

否認する。

7  因果関係

(原告の主張)

前記1(一)、(二)及び2(二)の原告主張の暴行により、原告は、加療約一月を要する腹部周辺及び左膝擦過傷、両肩関節炎、右前額部打撲等の傷害を負った。

(被告の主張)

原告の主張はいずれも否認する。なお、五月二一日当時原告に認められた傷痕は、原告が戒具を故意に左右に捻転させて生じた摩擦痕である。

8  損害

(原告の主張)

原告の肉体的・精神的苦痛を慰謝するためには、金一五〇〇万円を下らない。

(被告の主張)

争う。

第三争点に対する判断

一  前提となる事実関係

前記争いのない事実等で認定した各事実に加え、証拠(甲八、乙四、五、八、一〇の1、2、証人三谷、証人寺園、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告に対する係官の対応状況について、以下の各事実が認められる(朝食を配食した際の状況については、特に争いがあるので、原告に対する暴行の有無の項で論じる。)。

1  原告に対する革手錠の使用及び保護房への収容(前記認定のとおり、概ね争いがない。)

四月三〇日午前八時ころ、三谷と寺園が朝食を配食するため原告の居房へ赴き、同日午前八時五分ころ、原告に対し戒具(革手錠)を右手前左手後に使用した上、保護房へ収容した。なお、保護房でも原告に対し、改めて朝食が配食されたが、原告は係員らの説得に応じず、房内を徘徊することに終始したため、結局朝食の配膳を下げざるを得なかった。

2  当日の刑事公判期日に至る経緯及び泉弁護士の接見の経緯

同日は、午後一時二〇分に、大阪地方裁判所において原告にかかる刑事事件の第三二回公判期日が指定されていたところ、午前九時三〇分ころ、大阪拘置所所長は、出廷担当者をして、原告にかかる刑事事件が係属している大阪地方裁判所第一三刑事部書記官室へ赴かせ、原告が午前八時ころ職員に暴行を加えて暴れ続ける等極度に興奮状態が継続していること、右状態のまま当日の公判に出廷させれば護送中はもとより、法廷内においても他人に暴行を加える等不測の事態を惹起し、訴訟の進行に支障を来すおそれがある等と説明した。係書記官は、右係官に対し、原告の状態について、裁判官、検察官及び弁護士に報告する旨回答した。

同裁判所は、原告の弁護人であった泉弁護士に対し、「被告人が拘置所で暴れており、出頭不能であるという連絡を検察庁から受けた。弁護人の方で調査の上報告をするように。」という指示をし、同弁護士は大阪拘置所へ赴き、原告に接見して事情を聞こうとしたが、大阪拘置所長は、担当職員をして右同様の説明をさせ、結局原告と泉弁護士との接見は実現しなかった。

その後、係書記官は、内部協議の結果、原告を当日の公判に無理に出廷させる必要はない旨の連絡を担当者に対して行い、(なお、次回期日は五月二一日午後一時二〇分と既に指定されていた。)、同担当者はその旨上司に報告し、原告を出廷させない旨裁判所に連絡した。

午後一時二〇分からの原告にかかる刑事公判期日は、当初証人尋問が予定されていたが、結局原告不在のまま開廷して、既指定の次回期日を確認しただけで終了した。

3  四月三〇日の原告のその後の言動

(一) 昼食に至るまで、八時二三分、九時〇五分、同四〇分、一〇時四五分に係官がそれぞれ原告を視察した。その際には、原告は視察に気づいてじっと顔を上げてにらみつけたり、「コラ、覚えとけよ。」「ようやってくれたな、覚えとけよ。」等と大声を発したり、房内を徘徊したりしていた。

(二) 昼食は一一時四八分に配食された。原告は三谷に対し、「こんな格好で食えるか。」等と言うので、三谷が自分で食べさせる旨言うと、「お前には食べさせて欲しないわ。」と答えた。これを受けて三谷が「ではいらんのやな。」と言うと、原告は「いらんのじゃない。自分の意思で食わんのじゃない。」等とのやりとりがなされた。その後、三谷において主食を四口、副食を約五分の一程度喫食させたが、原告は「こんな不当な扱いしやがって、監獄法にないことしやがって、お前がこんな格好で食てみんか。」等と不満を述べていた。

(三) その後、夕食に至るまで、一四時四二分及び一五時〇二分に係官が原告を視察したが、うち一五時〇二分に三谷が視察した際、原告はそばに寄ってきて三谷をにらみつけ、「なんじゃ。」と大声を発した。

(四) 夕食は一六時一七分に配食された。三谷が「食べるか。」と聞くと、原告は「わしは食べないとは言っていない。そっちが喰わさんだけや。」「わしはいらんことはひとつも言っていない。」等と言うので、三谷は「いつもいらんことばかり言ってるやないか。昼も食べさせるとき、いらんことばかり言ってたやないか。食べるときは静かに食べろ。」と言って喫食させた。結局、主食、副食共に半分喫食した。

(五) その後、一六時五二分に点検を実施し、一七時一五分、同二五分、同三〇分、同四五分及び同五五分にそれぞれ係官が視察したが、いずれも房扉に背を向けて安座していた。

(六) 一八時〇〇分、吉田主任ほか五名の係官が立ち会って保護房を開扉し、臥具一式を搬入し、係官により布団を敷いて閉扉した。

(七) その後、同三〇分から二一時一〇分ころまでにそれぞれ係官が視察した際には、原告はいずれも布団を掛けて横臥していた。二一時一七分の視察においては、原告は房扉前に立って外の様子を窺っていた。

(八) その後二二時二五分前ころまでの間、原告は布団を掛けて横臥していた。

(九) 二二時四〇分に係官が視察した際は、原告は房扉に背もたれして安座しており、同五五分の視察の際は、房扉側に布団一式を寄せて仁王立ちしていた。

(一〇) その後、二三時一五分、同三四分、同五〇分の各視察の際、原告は房扉側で背もたれし、立ったり座ったりしていた。

4  五月一日の原告の言動

(一) 〇時〇五分の視察の際には、房中央で房扉側を向いて立っており、同二二分及び同三七分の視察時には原告は房扉側で丸めた布団の上で房扉に背を向けて座り、同五五分の視察時には房中央付近で房扉側を向いて立っていた。

(二) 一時一三分ころから三時二〇分ころまでの間、原告は座って足を投げ出したり、下を向いて目を閉じたりしていた。

(三) 三時三〇分ころに係官が視察した際には、原告は房内を徘徊していた。

(四) 同五〇分ころから五時八分ころまでの間、原告は前記(二)と同様の姿勢で過ごしていた。

(五) 五時三五分、六時〇五分、同一七分、同四〇分、同五五分、七時二〇分に係官がそれぞれ視察した際には、原告は房内を徘徊したり、視察に気づいて係官をにらみつけてきたことが何度かあった。

(六) 七時三〇分、倉橋専門官ほか四名の係官が立ち会って保護房を開扉し、臥具一式を搬出して閉扉した。

(七) 八時〇一分、朝食を配食した。三谷が喫食するよう原告に促したが、原告は「今の状態では食べれませんわ。係長にいらんこと言うたかもしれんがもう限界や、(戒具を)外してくれる気はないか。」と言い、結局朝食は喫食しなかった。

(八) 八時五二分に係官が視察した際には、原告は房内を徘徊していた。

(九) 九時二八分ころから一〇時四四分ころまでの間、原告は食器孔前や房扉前で安座していた。

(一〇) 一一時四八分に昼食を配食した。三谷が喫食を促したが、「今は喰わへん、やめとく。お茶をくれ。」と言うので、お茶をコップ一杯飲ませた。その際、原告は、「もう少し頑張るわ。」と言った。

(一一) その後、一三時四五分ころまでの間、原告は食器孔前や房扉前で安座していた。

(一二) 一三時五五分に係官が視察した際、原告は房内を徘徊しており、視察に気づくと係官に顔を近づけ、「チェ」と二回舌打ちをした。

(一三) その後一五時三九分に係官が視察した際には、原告は房扉に背もたれして安座していた。

(一四) 一六時一八分に夕食を配食したが、原告は喫食せず、お茶をコップ半分だけ飲んだ。その際、三谷に対し、「これは不当なことだ、いつ外してくれるのか。私をいじめてこの様にするのか、私は法務省と戦っているので、お宅らに恨みはない。」等と言った。三谷はこれに対し「今まで、君が職員に好き放題のことを言ってきたが、職員も腹を立てている。あそこまで言うことが、法務省と戦っていることになるのか。」等と問うと、原告は「係長に対しては言い過ぎたかもわからんが、私の気持ちも分かって欲しい。ペナルティーも受け、ちゃんと懲罰も受けてきた。」と言うので、三谷は「それは違う。何かしたから懲罰を受けるのであって、我々としては懲罰を受けないようにして欲しいだけだし、今まで君のやってきたことは無茶苦茶だ。」と指導した。原告は、三谷に「これをいつ外してくれるのか。」等と言ったが、三谷は「それはいつ外すとも約束はできない。今は頑張れというだけだ。」と言った。

(一五) 同五一分に、点検を実施した。

(一六) その後、一七時四五分ころまで、原告は房扉や食器孔のところに背もたれして安座していた。一七時四五分の視察の際には、係官をずっとにらんでいた。

(一七) 一八時〇〇分に、当直ほか三名の係官により保護房を開扉し、臥具一式を搬入した。

(一八) その後、一九時〇五分ころまでの間、原告は布団の上で正座をして目を閉じていたり、布団上で横臥したりしていたが、係官の視察に気づいて同人をにらむこともあった。

(一九) 一九時三〇分から二〇時分ころまでの間、原告は房内を徘徊したり、視察に赴いた係官をにらみつけたりしていた。

(二〇) 同一〇分に視察した際には、原告は房扉に背を向けて安座していた。

(二一) 同二五分の視察の際には、原告は房内を徘徊しており、視察に気づくと係官をにらんでぶつぶつ言っていた。

(二二) その後、二一時二五分の視察時には、原告は食器孔前で布団の上に安座し、独り言を言ったりしていた。

(二三) 二一時五〇分ころから二二時四〇分ころまでの間、原告は房内を俳徊し、ぶつぶつ独り言を言ったり、視察に来た係官をにらみつけたりしていた。

(二四) 二三時〇五分ころから同五〇分ころまでの間、原告は布団の上で横臥していたが、視察に気づくと係官をにらみつけたり、立ち上がって「何回ものぞくな。」等と言ってきたことがあった。

5  五月二日の原告の言動(戒具使用を解除されるまで)

(一) 〇時一〇分に係官が視察した際、原告は房内を徘徊しており、視察孔をにらみつけてきた。

(二) 同三五分ころから二時五〇分ころまでの間、原告は布団の上で横臥していた。ただ、一時二五分に係官が視察した際、これに気づいて同人をにらみつけ、「何ジロジロ見とんじゃ、用もないのにジロジロみるな。」と大声を発したことがあった。

(三) 二時五五分に係官が視察した際には、原告は房内を徘徊していた。

(四) その後、三時二五分ころから七時ころまでの間、原告は横臥したり仰臥したりしていた。

(五) 七時三〇分、西村専門官ほか三名の係官が立ち会って保護房を開扉し、布団一式を搬出して閉扉した。

(六) 同三五分に視察した際には、原告は房内を徘徊し、視察に気づいて「あっちいけ。」と言ってにらみつけた。

(七) 八時〇二分、朝食を配食した。原告は、「飯は食わへんわ、やめといた方がええやろ。汁貰うわ、汁だけ全部飲むわ。」と言って、副食である汁だけ全部喫食した。その際、三谷に対し、「係長、昨日のことで補足説明させて貰うわ。わしが七舎一階に入れられたことで文句言ってるのではないし、不満があるわけではない。何故七舎一階かの訳を聞かされていないので、最初不満が少しあった。」旨言ったので、三谷が「何故その場で聞かなかったのか。」と言うと、「最初は「ここの方が気楽でええやろう。」と言われただけで、二回目は聞かなかった。昨日の係長の説明でよく分かった。」旨言っていた。

(八) 九時二五分の視察の際には原告は房内を徘徊しており、一〇時二〇分の視察の際には、原告は房扉横の壁前に立っており、視察に気づいてじっと視察孔をにらみつけてきた。

(九) 一〇時五〇分に視察した際には、原告は食器孔前で安座していた。

(一〇) 一一時四六分に昼食を配食した。その際、原告は「飯は喰わん。」と言い、自弁の野菜ジュースを一箱飲んだ。また、副食の大根おろしについて、当初「食べるわ。」と言うので一口食べさせたが、「やっぱりやめとく。」と言ったので、以降は喫食しなかった。

(一一) 一二時五〇分の視察の際には、原告は食器孔前に立っていた。

(一二) 一四時〇二分及び一五時〇五分の各視察の際、原告は立っており、視察に気づくと、「なんや。」と言ってきたり、係官をにらみつけたりした。

(一三) 一五時四五分、原告に対する戒具使用を解除した。

6  戒具使用解除後、保護房収容解除までの間の原告の言動

(一) 五月二日のその後の言動

当日の夕食については、主食、副食共に全部喫食した。布団の搬入については、当直ほか五名の職員により行われ、一八時一九分ころ以降原告は横臥ないし仰臥し、二二時二五分ころまでには就眠したが、一八時四五分の視察の際には視察に気づいて係官をにらみつけたことがあった。

(二) 五月三日の言動

未明から七時ころまでの間原告は就眠していた。七時三〇分には布団をたたみ、同五五分の点検では異状はなかった。布団の搬出は当直ほか五名の係官により行われた。

午前中、原告は視察した係官をにらみつけたり、「何じゃ、眠たいんかい、ちゃんと起きとけよ。」と叫んだり、「ハハハ、あほめ。」等と言ったりした。昼食は全部喫食した。

午後は、視察する係官をにらみ、「コラ、ちゃんと仕事せいよ。」「お前ら根性腐っとる。ちゃんと働け。」「ハハハハ、くだらん奴じゃ。」「おい、下っ端、便所の水流さんかい。」「お前ら出来が悪い。ちゃんと働け。」等と怒鳴ったり叫んだりしていた。

夕食も全部喫食し、その後も係官に対してにらみつけたり、「おい、コラ、下っ端居眠りするなよ。痛い目に遭わしたるぞ。」「何じゃ、じろじろ見るな。」「便所の水流さんかい、コラ」と叫んだりした。なお、当日の臥具は、今村主任ほか四名の係官立会の上搬入され、その後は二二時四五分ころまでには就眠したが、その間、視察に気づいて視察窓をにらみつけたこともあった。

(三) 五月四日の言動

七時ころまで原告は仰臥、横臥して就眠していた。起床後八時〇五分に今村主任ほか四名の係官立会の上臥具を搬出したが、その際、「お前、この前一房にいる時は、えらい世話になったなあ。礼を言うぞ、こらあ。」等言いながら係官をにらみつけた。

朝食は全部喫食したが、食器を引き揚げる際、「おい、ボンクラ、便所の水流さんかい。気の利かん奴やのう。」と言ってきた。その後原告は安座していたが、視察に気づくとにらみつけることがあった。

昼食は主食を喫食せず、副食を二分の一喫食した。午後も原告は一六時ころまで安座していたが、視察に気づいて係官をにらむことがあり、一六時の視察時には房内を徘徊しながら唾を吐き散らしていた。

夕食は主食、副食共に全部喫食し、副当直ほか四名の係官立会のもと開扉し、布団を搬入した。この間、房内を徘徊して唾を吐き散らしたり、係官をにらんだりすることがあった。

その後は、翌朝まで横臥又は仰臥していた。

(四) 五月五日の言動

七時三〇分に起床し、朝食は主食及び汁を全部喫食した。

その後森岡副看守長ほか五名の係官立会のもと開扉し、布団一式を搬出して座布団を搬入する等した。昼食までの間は安座したり房内を徘徊したりし、視察に気づくとにらみつけてくることが度々あった。

昼食は主食及び副食を全部喫食した。その後は安座をしたり、房内を徘徊したりしていたが、視察に気づくと係官をにらみつけたり、「何ジロジロ見とんじゃ。」「ちゃんと働けよ。」等と申し向けたりした。

夕食も主食及び副食を全部喫食した。一八時三〇分ころからは原告は横臥したり仰臥したりしていたが、二〇時二〇分には、係官の視察に気づいてこれをにらみつけたりすることがあった。

(五) 五月六日の言動

五時五五分の視察の際、仰臥したまま視察に気づき、「そこまでジロジロ見んでもええやろ。」と大声を発した。

朝食は主食、汁共に全部喫食した。臥具の搬出は、数名の係官立会のもとなされ、座布団が搬入された。その後、原告は房内を徘徊したり、座ったり立ったりしていたが、視察に気づくと係官を睨んでくることがあった。

昼食も主食、副食共に全部喫食した。その後は房内で立ったり座ったりしていたが、一五時四三分の視察においては、「ええかげんにせんかい。」等と係官に対して怒鳴った。

夕食も主食及び副食を全部喫食した。布団は当直ほか五名の係官が立ち会って搬入した。その直後、原告は視察に気づいてぶつぶつ言っていたが、その後原告は主に仰臥ないし横臥して翌朝まで就眠していた。

(六) 五月七日の言動

起床後、当直ほか五名の係官で布団を搬出した。朝食は主食、副食共に全部喫食した。その後、自弁の牛乳を三パック入れた際、牛乳パックの入れ方について、「横にして置くな、縦に置け。わしはむずかしいことは言うてない。自弁のもんじゃ。あんたらに言う権利があるんじゃ。」等と喚き散らしたことがあった。

昼食も主食、副食共に全部喫食し、夕食までの間は主に房内で座っていたが、視察に気づくと係官をにらみつけることが一度あった。

夕食も主食、副食共に全部喫食し、阿部主任ほか四名の係官により臥具一式が搬入された。その後原告は仰臥ないし横臥しており、一九時五〇分ころまでは係官に「またくだらん奴がこっち見とるわ。ハハハ。」「眠たい顔してこっち見るな、ちゃんと働けよ。」等と言ってきたりしたが、その後は特に何事もなく翌朝まで眠っていた。

(七) 五月八日の言動

起床後、河部主任ほか三名の係官により布団一式が搬出された。視察に気づくと係官をじっと見ていた。

朝食は主食、副食共に全部喫食した。その後水道の水を出してくれと申し出たり、空手の格好をしたり、安座したりしていた。

一一時二〇分に保護房拘禁が解除され、身体検査等を行ったが、特に異常が認められなかった。

(八) その後の事実経過

(1)  同日、原告の代理人である泉弁護士が接見に赴いた。その際、原告は係官に暴行を加えられる等訴え、その後刑事事件の弁護人により、受訴裁判所宛に上申書(甲八)が作成された。

(2)  同月二〇日、原告に対し、職員に対する侮辱及び暴行を理由として、軽塀禁三〇日、文書図画閲読禁止併科の懲罰が執行された(なお、同月二一日及び六月一四日は、原告にかかる刑事公判出廷のため、右懲罰の執行はそれぞれ一日間停止した。)。

(3)  同月二一日に開かれた原告に係る傷害致死被告事件の第三三回公判期日の被告人質問において、原告は四月三〇日に係官から暴行を加えられる等した旨供述し、同日原告の身体について検証がなされた(甲一、二及び弁論の全趣旨)。

以上の事実を前提に、各争点について判断する。

二  原告に対する暴行の有無(争点1)

1  証拠(乙四、五、証人三谷、証人寺園)によれば、四月三〇日午前八時ころ、三谷及び寺園が朝食を配膳するため、原告の居房である第七舎一階一房(テレビ監視カメラ付独居房)に赴き、三谷において、原告に対し、同房食器孔から味噌汁を配食したところ、原告は、三谷に対し、「月曜日までよう息をしてたな、年寄りが。」等と三谷を侮辱し、さらに、三谷及び寺園の静かにするようにとの注意にもかかわらず声をあげたため、寺園が扉をあけ、中に入ろうとしたこと、これに対し、原告が、「入るな」と怒号しながら右手拳で寺園の左胸を突いたため、三谷が原告の右手を取って制止しようとしたところ、原告は、三谷の左肩につかみかかる暴行をしたこと、三谷及び寺園が、暴行をやめさせるべく原告を同房前廊下に連れ出し、制圧しようとしたが、原告が両足をばたつかせるなどして抵抗したため、さらに、他に二名の職員が加わって、原告を押さえつけ、廊下に仰臥させて制圧したことが認められる。

2  これに対して、原告は、四月三〇日の午前八時ころ、配食時の職員とのささいな言葉のやりとりで、言いがかりをつけられ、扉を開けられ、房外のコンクリート製の廊下に引きずり出された、腕と首根っこをつままれ、俯せに引きずり倒されるような形になったので「暴力を振るうんか。」等と抗議すると、三谷にコンクリートの床に額を二度ぶつけられた旨供述するが、原告の供述は、三谷に額をぶつけられた回数等については詳細に供述する反面、三谷及び寺園との間でのトラブルに至った当初のきっかけについては、本件当日の三週間後に行われた刑事事件の公判期日における被告人質問においてさえ、原告は、「言葉のやりとり」というのみで、何の言葉を言ったかは記憶にない旨の供述に終始しているのであって、原告の右供述はにわかに採用しがたい。

3  前記認定にかかる事実経過によれば、原告を係官が数人がかりで制圧する際、はずみで原告の前額部が床にぶつかったことを全く否定することまではできないものの、少なくとも三谷が原告の額を故意に床にぶつける等の暴行を加えたと認めるに足りる証拠はない。

他方、三谷、寺園を始めとする係官が原告に対して一連の有形力の行使を行ったことについては当事者間に争いがないが、右有形力の行使は、原告が係官(特に三谷)に対して侮辱的な言辞を吐いた上、これを注意しようと房内に入った寺園に対し、右手拳で左胸を突く暴行をしたり、これを制止しようとした三谷に対し右手で三谷の左肩につかみかかる暴行をしたことによるものであり、これに対する係官らの措置は、まず、矯正護身術縮緘の要領で、原告の肘をねじ上げてその肘関節を制しようとし、さらに、原告が両足をばたつかせる等して抵抗したため、両手両足を押さえつけて伏臥させたというにとどまり、専ら暴れる原告に対する受動的な行動に終始していたと評価すべきである。

4  以上の事実を総合すれば、三谷、寺園ら係官の一連の有形力の行使は、係官に対する暴行ないしそのおそれを制止し、かつ拘置所内の秩序を維持するために必要かつ相当な方法でなされたものというべきであるから、被告職員の一連の行為が違法なものであったとはいえない。したがって、争点1についての原告の主張は理由がない。

三  戒具使用の違法性について(争点2)

1  証拠(乙四、五、証人三谷、証人寺園)によれば、原告は、前記認定のように制圧されながらも「何する、おまえらのやり方は分かってる、離さんかい。」等と怒鳴り散らしながら制圧されている両手両足を激しくばたつかせて暴れたため、監督当直者である山口俊雄統括矯正処遇官及び長野統括らが、原告に対し、「静かにしろ。」等と制止したこと、原告はなおも「離せ、これがやり方か。」等と大声で怒鳴りながら両腕両足を激しく動かして暴れ続けたため、原告が極めて強い興奮状態にあり、再度暴行するおそれが顕著に認められたとして、山口統括の指揮により、三谷及び寺園において、同日午前八時〇二分ころ、第七舎一階一房前において戒具である革手錠を右手前左手後に使用したことが認められる。

2  証拠(乙七)によれば、本件戒具は、次のようなものであったことが認められる。

(1)  一本の腹部ベルトと二個の腕輪から構成される戒具であって、腹部ベルトの長さは約一一五センチメートル、幅が約四・五センチメートル、ベルトは牛革製で、内部に薄い金属板が入っている。腹部ベルトには通常のベルトの孔に相当する穴が複数開いており、その穴と穴の間隔は約一〇センチメートルである。

(2)  腕輪も牛革製であり、腹部ベルトに装着させるための金具が付いている。その内径は、被使用者の腕の太さに応じ、三段階に調節できる。

3  戒具使用の要件の有無について

前記認定にかかる事実関係に照らせば、本件戒具を使用した当時、原告は被告職員らに対し現実に暴行に及び、制圧にも激しく抵抗し、さらに暴行に及ぶ具体的なおそれがあったというべきであるから、戒具装着時においては、戒具使用の要件を充足していたと認められる。

4  戒具を右手前左手後に固定した点について

証拠(証人三谷、証人寺園)によれば、右手前左手後に戒具で固定することについては山口総括の指示であること、両手前の場合には職員に対し足蹴りする場合やひじ打ちをする場合において、バランス良く力を入れることができるが、片手前片手後の場合には蹴りやひじ打ちの際にも力が入らずに暴行のおそれが減殺される一方、両手後の固定は拘束の程度が強く、必要以上に拘束するため、両手後を採用せず、片手前片手後を選択したことが認められる。確かに、右判断内容それ自体はそれなりに合理的であると考えられる上、「手錠及び捕じょうの使用について」(昭和三二年一月二六日矯正局長通牒矯正甲第六五号。乙四)によれば、手錠を使用した場合の手の位置として、両手前、両手後、片手前片手後及び両手各横が許容されているものの、そのうち最も拘束の程度の強い両手後の方法はとらず、右手前左手後の位置を採用していることに照らすと、謙抑的な運用をしたと評価することができる。また、証拠(証人三谷、証人寺園)及び弁論の全趣旨によれば、原告に食事を配食した際には、段ボールで造った箱の上に食事を置き、その前に原告を座らせて喫食させようとしていたこと、段ボール上に食事を置けば、れんげ(スプーン)を用いることにより著しく無理な体勢をとることなく独力で喫食することが可能であること、いわゆる股割れズボンを着用した状態で用便の自己処理が可能であること、俯せ及び横向きで就寝が可能であることが認められるから、これらの事情を総合すれば、原告に対し、右手前左手後の位置で本件戒具を使用したことについて、違法であったということはできない。

5  戒具装着の緊度について

証拠(甲七)によれば、五月二一日の原告にかかる刑事公判期日において、原告が拘置所内での戒具使用により背中の左の方に瘡蓋ができ、臍の周りと腰の右側に傷ができた旨訴え、原告の腹部前面、右面にいずれも傷痕があり、左腰背部に瘡蓋が存在していたことが認められ、証拠(乙八)によれば、原告に対する戒具使用中、原告の喫食状況については、四月三〇日の昼食は主食四口、副食約五分の一、夕食は主食、副食共に半分だけ喫食したものの、その後は喫食しなかったり、喫食してもお茶や汁、野菜ジュースだけであったことが認められる。

ところで、五月二日の戒具使用解除後、五月二一日の刑事公判期日における検証に至るまで、証人三谷自身、右革手錠以外に原告の腹部等に傷痕を生じさせるような出来事があったことはなかった旨証言していることに照らすと、右当時に生じていた傷は、専ら右革手錠により生じたものであると推認すべきである。他方、証拠(証人三谷、証人寺園)によれば、原告に対し本件戒具を装着する際には、原告の体とベルトとの間に手指が四本入ることを確認したことが認められ、本件戒具を原告独力で外すことは不可能であるとしても、多少左右に動かすことは可能であると推認できる。そうだとすれば、被告主張のごとく、原告が戒具を故意に左右に捻転させたかどうかはともかくとしても、原告の挙動により戒具が左右にずれる等し、その結果皮膚とこすれて前記認定にかかる瘡蓋等が生じた疑いもあり、右瘡蓋等の存在から直ちに必要以上に戒具を緊度を強く固定した事実を認定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

なお、本件戒具を使用中、原告の用便の際に戒具をゆるめたことがないことについては当事者間に争いがなく、動静視察表等にベルトをゆるめた旨の記載がないこと、本件戒具をゆるめた一瞬の隙に職員に暴行するおそれがあるが故に用便等の際に戒具をゆるめなかった旨の被告の主張に照らすと、食事の際も戒具をゆるめていなかったものと推認することができる。なお、三谷及び寺園は、食事の際にはベルトの孔を一つゆるめていた旨証言をするが、右各事実に照らし採用できない。

右扱いは、被使用者の食事及び用便等にあたっては、施錠を一時はずして用を弁ぜしめることを要求し、それができない場合であっても革手錠のバンドをゆるくする、片手の手錠を外す、両手を前にする等の対応を求める前記通牒に照らして疑問とする余地もあるが、原告の体とベルトとの間に手指が四本入ることを確認したというベルトの緊縛度についての前記認定にかかる事実、その後に係官らが緊縛度を強くするような行動を何らしていないことを前提とすれば、当初の緊縛度がそれ自体強いものではなかったことに照らし、施錠をゆるめなかったとしても、直ちに違法とまで言うことはできないというべきである。

6  戒具使用を継続したことについて(原告の主張(三))

被告は、原告は、戒具使用後も興奮状態が継続し、保護房に収容されているとはいえ、食事や布団の出し入れ等のため入房した職員に対する暴行のおそれが顕著に認められたため、戒具使用を継続し、五月二日午後三時四五分ころに至り、暴行を惹起するおそれも薄らいだと認められたため、戒具使用を解除した旨主張し、証人三谷及び証人寺園もこれに沿う証言をしている。

ところで、「手錠及び捕じょうの使用について」においては、使用中は徒らに放置することなく、視察を頻繁に行うとともに進んで面接指導をなし、精神の安定をはかるよう努める旨、「保護房の使用について」においては、拘禁者に対して、戒具を使用することができるのは、特に必要が生じたときに限る旨規定されているところ、保護房拘禁に加えて戒具を使用することはそれ自体禁止されているとはいえないものの、前者に比べて後者が拘禁者に与える物理的制限ないし苦痛は大きいものであるから、保護房に収容する場合、戒具を併用することについての必要性ないし合理性は厳格に判断すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定にかかる事実関係を前提とすると、確かに原告に本件戒具を使用した四月三〇日午前八時〇二分前後においては、原告に対し本件戒具を使用すべき要件を具備していたことはもちろん、その必要性も高かったというべきである。

また、前記認定事実のとおり、保護房に収容した後も、昼食に至るまでに四回にわたり係官がそれぞれ原告を視察した際、原告は同人らをにらみつけたり、「コラ、覚えとけよ。」「ようやってくれたな、覚えとけよ。」等と大声を上げて不穏な発言をし、房内を徘徊したりしていたのであり、同日昼ころ時点までにおいては、なお原告が本件戒具を解除する際やその後に係員等に暴行を加えるおそれはなお継続していたというべきである。

ところで、同日の昼食後夕食まで、一四時四二分及び一五時〇二分に係官が原告を視察し、うち一五時〇二分に三谷が視察した際、原告はそばに寄ってきて三谷をにらみつけ、「なんじゃ。」と大声を発したものの、その余は特にトラブルはなかったこと、夕食の際、原告は不満を述べたものの不穏当な発言はしていないこと、その後五回の係官の視察の際、いずれも房扉に背を向けて安座していたこと、吉田主任ほか五名の係官の立会のもと保護房を開扉し、臥具一式を搬入する等したこと、その後も特に原告に不穏な言動はなかったことが認められる。そうだとすれば、原告の暴行に対処するためには、遅くとも同日の臥具搬入時以後においては保護房に拘禁することをもって足り、本件戒具まで継続して使用すべき必要性は消滅していたというべきである。

被告は、食事や布団の出し入れ等のため職員が保護房内に入った際に、さらなる暴行を加えるおそれが顕著に認められた旨主張し、三谷証人らもこれに沿う証言をする。しかし、証人三谷がいうところの、戒具使用の要件としての職員に対する暴行のおそれを基礎づける、係官をにらみつける、舌打ちをする、視察孔に詰め寄る等の各行為は、それ自体単に保護房に拘禁されているのみで、戒具を使用するには至らない者であっても行う可能性があり、右行為だけで直ちに戒具使用の必要性を基礎づけることはできないというべきであるし(現に原告は、本件戒具の使用解除後も、右のような行為に及んでいることは前記認定のとおりである。)、遅くとも臥具の搬入以降の原告の行為に係官に対する暴行を想起させる事実は窺われないから、同証人の証言内容は前提において事実に反しているというべきである。また、原告がいる保護房に臥具を搬入する際も吉田主任ほか五名もの係官を動員して平穏に行われ、右搬入を含め、食事や臥具の搬入搬出のために保護房に係官が入房する際にはいずれも相当数の係官が同時に入房しており、係官の確保が困難であること等の特段の事情は何ら窺われないし、戒具使用を解除した後も相当数の係官により臥具の搬入、搬出等が行われ、いずれも平穏に終了していることに照らしても、被告の右主張は採用することができない。

四  保護房拘禁の違法性について(争点3)

1  保護房に拘禁したことについて

証拠(証人三谷、証人寺園)によれば、当初の保護房拘禁の根拠は、本件戒具を装着した後も原告が大きな声でわめき続けたので、制止に従わず大声騒音を出す者に該当することであることが認められる。確かに、前記認定にかかる事実によれば、原告が本件戒具使用の上、保護房に収容される前後において、視察に来た係官らに対し、じっと顔を上げてにらみつけたり、「コラ、覚えとけよ。」「ようやってくれたな、覚えとけよ。」等と大声を発したり、房内を徘徊したりしていたというのであるから、原告を保護房に拘禁した四月三〇日午前八時〇五分ころにおいて、保護房収容の要件は充たしていたというべきである。また、前記認定にかかる事実によれば、原告の係官に対する現実の暴行又はそのおそれによっても、保護房収容の要件は充たしていたというべきである。

2  保護房拘禁を継続したことについて

(一) ところで、前記認定にかかる事実によれば、同日の昼ころまでは原告が大声を度々上げていたことが認められるものの、その後は係官の視察に対する原告の対応も、係官をにらみつけるとか、せいぜい一言二言係官に文句を言う程度であったこと、配食の際の係官とのやりとりも、それ自体は相当程度落ち着いたものであったことが認められるのであって、当初の保護房拘禁理由である、制止に従わず大声騒音を出す者には該当しなくなったというべきである。

(二) もっとも、前記認定にかかる事実によれば、以後も依然として原告は係官に対して侮辱的な言辞を吐いたり、にらみつけて文句を言う等の反抗的な態度に終始していたことは明らかであり、右態度に照らし、戒具まで使用する必要はともかくとしても、右態度がエスカレートして係官に対して再び暴行に及ぶおそれは依然として残っていたというべきである。この点は、原告に対する保護房拘禁が解除される前日である五月七日においてもなお、自弁の牛乳を三パック入れた際、牛乳パックの入れ方について、「横にして置くな、縦に置け。わしはむずかしいことは言うてない。自弁のもんじゃ。あんたらに言う権利があるんじゃ。」等と喚き散らしたことがあったり、視察に気づくと係官をにらみつけたり、「またくだらん奴がこっち見とるわ。ハハハ。」「眠たい顔してこっち見るな、ちゃんと働けよ。」等と申し向けたりした事実に照らし、現実に拘禁が解除された五月八日午前まで継続していたというべきである。

3  したがって、原告を保護房に収容し、これを継続したことについては、いずれも違法であったとはいえない。

五  違法な公判の出頭及び弁護人との接見妨害の有無(争点4)

1  前記認定にかかる事実によれば、四月三〇日午前当時、原告は現実に係官に対して暴行を働いたほか、暴れて大声を発する等しており、大阪拘置所所長において、ことさら受訴裁判所に対して虚偽の報告をしたものではなく、受訴裁判所も右報告を受けて同日の公判期日に原告を出頭させる必要はない旨連絡したのであるから、当日原告が公判期日に出廷しなかったことをもって、被告の違法な行為であるということはできない。

2  また、同日接見に赴いた泉弁護士に対して原告との接見を拒んだ点についても、当時の原告の状況に鑑みれば相当な措置であったというべきであるから、この点についても被告の違法な行為であるということはできない。

六  違法な二重懲罰の有無(争点5)

前記認定のとおり、原告に対する保護房拘禁は、当時としてはこれを認めるべき事由があったことは明らかであり、原告が主張するような懲罰目的があったとまでは認められないから、この点に対する原告の主張は理由がない。

七  減食の有無(争点6)

四月三〇日の朝食については、前記認定の事実を前提とすれば、原告が三谷らに対して侮辱的な言辞を述べたり、暴行を加えたりすることがなければ当然喫食することができたというべきであり、いわば原告が自ら朝食を喫食できない状況を招いたというべきであり、直ちに担当者らにおいて、故意に原告に朝食を与えなかったということはできない。

昼食については、少ないながらも原告は三谷の介助のもとで喫食している上、三谷に食べさせてもらうことに対して不満があるにしても、昼食を配食されたにもかかわらず、自ら喫食を拒んだと評価するほかない。この点、原告は全部昼食を食べるつもりであったのに、途中で引き上げられた旨供述するけれども、証拠(乙八)に照らし、採用できない。

したがって、四月三〇日の朝食及び昼食のいずれについても、三谷らにおいて、原告に与えなかった旨の原告の主張は理由がない。

八  損害について(争点8)

右のとおり、被告が原告の戒具使用を継続したことについては、違法な公権力の行使であったというべきである。

これによって原告の被った損害について検討するに、本件における違法な戒具の使用というべき期間は四月三〇日の一八時から戒具使用が解除された五月二日の一五時四五分までの四五時間四五分であって、約二日弱にも及んでいるところ、戒具の使用は、いうまでもなく、被使用者に対して物理的に身体の動作の自由を制限することになり、不可能ではないものの、食事や用便等、日常動作においても相当の不自由を強いるものであり、右肉体的な苦痛のみならず、戒具により拘束されていることによる精神的な苦痛も決して小さくないというべきである。他方、右戒具の使用を始めとした拘束を受けるに至ったのはひとえに原告の責めに帰すべきことがらであることは前記認定から明らかであって、係官らの違法行為は、戒具を使用したこと自体ではなく、戒具の解除時期が必要以上に遅くなった点にある上、係官らが食事の際等に原告を説得して落ち着かせようと努力していたにもかかわらず、結局原告が係官に対する侮辱的ないし反抗的態度に終始したため、結果として戒具の使用解除が遅れたこと等の事情も認められ、これらの諸点を総合すると、本件違法な公権力の行使によって原告の被った損害を金銭に換算すると、五〇万円を相当と認める。

九  結論

よって、原告の本訴請求のうち、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償金五〇万円及びこれに対する違法な公権力の行使日である平成八年四月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林圭介 裁判官 森純子 裁判官 高原知明)

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